三十年式歩兵銃


三十年式歩兵銃(さんじゅうねんしきほへいじゅう)または三十年式小銃(さんじゅうねんしきしょうじゅう)は、1897年(明治30年)に採用された大日本帝国陸軍のボルトアクション式小銃。
近代的な国産連発式小銃として日露戦争では帝国陸軍の主力小銃として使用された。開発者は有坂成章。欧米では三十年式歩兵銃および三十年式歩兵銃を直接・間接的に母体とする小銃(三八式歩兵銃・九九式小銃など)をまとめて「アリサカ・ライフル(Arisaka rifle)」と呼称する。
777
三十年式歩兵銃 wikipedia
目次
1.有坂成章
2.三十年式実包
3.特徴
4.関連
5.関連商品




有坂成章

778

有坂 成章(ありさか なりあきら、嘉永5年2月18日(1852年4月5日)-大正4年(1915年)1月12日)は日本陸軍軍人、男爵。帝国陸軍初の国産小銃の開発者である村田経芳の後継者である。最終階級は陸軍中将。別名に淳蔵。

明治30年(1897年)、三十年式歩兵銃の開発に成功、翌年2月にそれまで使われていた村田連発銃に代わる初の陸軍制式小銃として採用された。
有坂成章 wikipedia

三十年式実包

779
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/furuken93/2304503.html 
三十年式実包(さんじゅうねんしきじっぽう)とは、1897年に村田銃用の8mm×52弾に代わる新しい小銃弾薬として、三十年式小銃と共に採用された6.5mm×50 セミリムド弾薬である。
弾頭は円頭型(蛋形)である。コサック騎兵の騎兵突撃を粉砕できる、軽量小口径の銃弾である。三十年式実包が開発されるまでは、騎兵突撃の破砕には7.7mm以上の口径が必要とされたが、軽量の円頭弾を高初速で発射することで、技術的克服に成功した。これにより、小柄な日本兵がロシア軍騎馬と戦い勝算を得ることに自信をもったと伝えられる。

初期の三十年式実包は、2.07gの小銃用無煙火薬で10.5gの弾頭を発射した。三十年式歩兵銃から射出された弾丸は初速700m/sを発揮した。
三十年式実包 wikipedia

特徴

欧米人に対し貧弱な日本人の体格に合わせて口径を反動の少ない6.5mmとし、さらに銃身長を本銃開発の際に参考にした同口径銃のイタリア製カルカノ M1891よりも10mm長く設定してある。これにより反動の低下による命中率向上と軽量弾による射程距離の向上をもたらした。銃弾の威力も馬の最も硬い骨格である脚の骨を撃砕することができ、当時の仮想敵国であるロシア陸軍のコサック騎兵の騎馬突撃を頓挫させるには十分であった。
 大陸においては機関部に砂塵が入り込み動作不良を起こすことが多々あり、この教訓から後に三十五年式や三八式には遊底覆が追加されることになった。また、当時の現場では銃口蓋をして対策をしていたそうで、これを紛失した兵は上官からこっぴどく叱られたらしい。
 本銃は、南部 麒次郎により改良を加えられて、三十五年式海軍銃の名称で海軍陸戦隊でも採用された。三十年式との違いは遊底覆の有無と、表尺板がスライド式から扇転式へ変わったことなどである。ただし、遊底覆は三八式歩兵銃のものと違い、ボルトと連動しないものであったため、手動で遊底覆を動かしておく必要があった。
東京砲兵工廠 三十年式歩兵銃 【小銃】 MEDIAGUN DATABASE 


関連