M1941ジョンソン小銃


92
M1941ジョンソン小銃(M1941 Johnson Rifle)は、アメリカ合衆国で開発された半自動小銃である。第二次世界大戦期、メルヴィン・ジョンソン(英語版)によって開発された。

M1941小銃は歩兵用自動小銃としては珍しく、反動利用型(ショートリコイル)の作動方式を採用している。その他にも10連発のロータリーマガジンや、銃床と分断された木被など特徴的なデザインが取り入れられていたが、作動方式の都合から銃身が機関部に固定されておらず、銃剣の使用には不向きであった。装填にはM1903小銃と同様の5連発クリップを使用した。
M1小銃と比較して、M1941小銃はより反動が小さく、また弾倉容量の点でも有利だった。しかし、独特な作動方式の影響で射撃が上下に分散しやすい問題や、着剣時に銃剣の重みで動作不良を起こす問題などは最後まで解決できなかった。また部品数も多く、前線におけるフィールドストリップ時に部品紛失等の問題が多発する事が予想された。結局、M1941小銃はM1小銃よりも堅牢性や信頼性などが劣ると判断されていた。

1961年のピッグス湾事件では、反カストロ部隊である第2506旅団(英語版)でジョンソン小銃が使用された。
M1941ジョンソン小銃 wikipedia 
目次
1.ピッグス湾事件
2.特徴
3.画像
4.動画
5.関連




ピッグス湾事件

98

ピッグス湾事件(ピッグスわんじけん、スペイン語: Invasión de Bahía de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)は、1961年に在米亡命キューバ人部隊「反革命傭兵軍」がアメリカ合衆国の支援の下で、フィデル・カストロ革命政権の打倒とアメリカ傀儡政権の再興を試みた事件。ジョン・F・ケネディ大統領の承認を経て1961年4月15日に侵攻が開始されたが、東側諸国の援助を受けたキューバ軍は3日間の戦いで撃退に成功した。この事件の直後、キューバ政府は先の革命が社会主義革命であることを宣言。ソビエト連邦への接近を強めた結果、翌1962年にはキューバ危機が起きることになる。
ピッグス湾事件 wikipedia 

特徴

レシーバー下にはこれまた珍しいロータリー・マガジンを内蔵しており、装弾数10発と当時としてはハイキャパシティを誇った。当時の代表的自動小銃だったガーランド小銃が、クリップ(挿弾子)ごと装弾する構造ゆえ、撃ち切らないと再装填もままならなかったのと違い、ジョンソン自動小銃はいつでも弾薬を補充できたうえ、ボルトを閉じたままでも装填が可能だった。リコイルも30%ほど少なく、トライアルに使用されたテストモデルでは、高い集弾性と命中精度を発揮した。
ジョンソン M1941自動小銃 / Johnson M1941 【自動小銃】 MEDIAGUN DATABASE 


画像

97
93
94
95
96


動画

The Johnson Rifle


 1941 Johnson Automatic Rifle WW2 .30-06 Semi Auto
  


関連