RPD


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RPD軽機関銃(ロシア語: Ручной пулемёт Дегтярёва, 略称:РПД)は、SKSカービン用に開発された7.62x39mm弾を使用する分隊支援火器として、前任のDP28軽機関銃を設計したヴァシーリー・デグチャレフが1944年に設計した軽機関銃である。

1950年代を通じてソビエト連邦軍で使用された。伏せ撃ち用に二脚を標準装備していたほか、腰だめ撃ちが可能なようにスリングを取り付ける金具も有している。
弾薬を非分離式の金属製リンクに装着し、それを専用のドラムマガジンに収納して使用する。この給弾方式のせいで、前線において他の兵士が持つAK-47とは弾薬を即座に使い回せなかったため、1960年代にはAKMの分隊支援火器仕様であるRPK軽機関銃に交替して退役した。
RPD軽機関銃 wikipedia 
目次
1.ヴァシーリー・デグチャレフ
2.特徴
3.画像
4.動画
5.関連




ヴァシーリー・デグチャレフ

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ヴァシーリー・アレクセイエヴィチ・デグチャレフ(Васи́лий Алексе́евич Дегтярёвヴァシーリー・アレクセイエヴィチ・デクチャリョーフ;1880年1月2日 - 1949年1月16日)は、ソ連の軍人、銃器設計者。技術・砲兵少将、科学技術博士(1940年)、社会主義労働英雄(1940年、称号が創設されて2人目の受賞で、1人目であるスターリンの2週間後に受賞した)。1941年に共産党入党。
デグチャレフは、ソ連で最初の銃器設計局を率い、複数の機関銃、短機関銃、対戦車ライフルを設計した。
デグチャレフはスターリン国家賞を、1941年、1942年、1944年、さらには死後の1949年に受賞。さらには3度のレーニン勲章とその他4つの勲章、1つのメダルを受章している。
ヴァシーリー・デグチャレフ wikipedia 

特徴

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1950年代にソ連軍で使用され、東欧諸国や中国、北朝鮮、エジプトなどでライセンス生産され、ベトナム戦争においても北ベトナム軍や南ベトナム解放民族戦線が大量に使用していた。
しかし、弾薬を非分離式の金属製リンクに装着してそれを専用のドラムマガジンを使用するため、前線では歩兵が持つAK47と弾薬を即座に使いまわすことが出来なかった。そのため、それを改善するために1960年代にRPKと交代した。

現在では、紛争地域などで使用されている。
RPD ピクシブ百科事典 

機関部はDPMの設計をそのまま流用し、使用弾薬にはSKSAK47と共用可能な7.62mm×39弾を採用している。しかし、非分離式の専用メタルリンクを使用し、AK47の弾倉には対応していないなど運用的に難点もある。その反省から1960年代には弾倉や操作性に共通性を持たせたRPKが作られ、RPDの後継として採用される事になる。
 北朝鮮では、RPDをライセンス生産した62式というモデルを同国軍に配備していた。しかし今はPKクローンの73式への更新が始まっているようだ。
USSR RPD / СССР РПД 【軽機関銃】 MEDIAGUN DATABASE 


画像

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動画

 RPD 100 round functional test
  

 RPD Machine Gun History and Overview
  


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