ブローニングM1918


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ブローニングM1918自動小銃(Browning M1918 Automatic Rifle)は、アメリカで開発された自動小銃である。アメリカ軍をはじめ各国で、20世紀を通して使われた。
正式名称の頭文字を取ってBAR(バー)と呼ばれることがあるが、正しくはB.A.R.(ビー、エー、アール)とそれぞれ発音する。現在のブローニングの民間用猟銃にも「BAR」の名称の製品があるが、本銃とは完全な別設計である。

1917年、銃器設計技師のジョン・M・ブローニングにより設計された。フルオートとセミオート射撃を選択でき、軽機関銃のようにも使え、一人で運搬できて歩兵分隊の移動に追従する分隊支援火器の始祖とも言える存在である。1917年採用にも関わらず「M1918」という名称が与えられているのは、先立って採用されていたブローニングM1917重機関銃との混同を避ける為だった。
ブローニングM1918自動小銃 wikipedia 
目次
1.ジョン・ブローニング
2.特徴
3.画像
4.動画
5.関連商品
6.関連



ジョン・ブローニング

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ジョン・モーゼス・ブローニング(John Moses Browning, 1855年1月23日 - 1926年11月26日)は、アメリカ合衆国の銃器設計家である。本来、名字Browningの発音は「ブラウニング」に近いが、慣例的にブローニングと表記される。
ジョン・ブローニング wikipedia

特徴

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アメリカ軍は、ボルトアクションもしくはセミオートマチックの小銃が主力火器であった当時、分隊を火力支援するために容易に持ち運べる機関銃のような火器の必要性を感じ、1918年にジョン・M・ブローニングが開発した(当時の)自動小銃と機関銃を合わせたようなM1918を採用した。

欠点として銃身が過熱しても交換できず、機関銃としては弾数が少々不足気味で小銃としては多重量で長さがあった。
だが、その重量が逆に射撃時の反動を抑えて安定した射撃ができ、長い銃身によって命中精度は良好だった。また、装弾数は少ないがその分単純な構造で小型のマガジンは信頼性や携行性が高く、他国の多装弾型マガジンと遜色はなかった。
何より小銃として運用するならM1ガーランドより弾数が多く、フルオート射撃ができるため重くても使用したがる兵士が多かった。20発のマガジン給弾方式も、途中装弾できないM1ガーランドのクリップ給弾方式に不満があったため歓迎された。
このためM1918は戦場で戦う兵士達にとって信頼のおける兵器として愛された。
M1918 ピクシブ百科事典 

当初、BMR(Browning Machine Rifle)の名称でテストされていた本銃は、1917年に「BAR M1918(制式名称 Rifle, Caliber .30, Automatic, Browning, M1918)」として制式採用され、コルト社とウィンチェスター社、それにマーリン・ロックウェル社で合わせておよそ10万挺が製造された。製造に際しては、改修作業が並行して行われたり施設を新たに準備したりなど、生産体制が整うのに時間を要したことから、完成したM1918が前線に送られた頃には、第一次世界大戦は終戦も間際であった。とはいえ、大戦の転機となったムーズ=アルコンヌ攻勢では、BARを装備した部隊が投入されて戦果を上げている。
 BARは、ブローニングからパテントを譲渡されたコルト社により、スポーターモデルも市販されている。1931年に「コルト・モニター」の名称で発売されたが、世界恐慌の折、非常に高価でもあったことからアメリカ国内での売り上げは芳しくなかった。しかし、同時期のトンプソン短機関銃同様、当時のギャングたちには大いに受け、ボニー&クライドとして知られたギャングによって、悪名をとどろかせている。ちなみにボニー&クライドが使っていたのはモニターではなく、州兵器庫から弾薬と共に強奪したミリタリーモデルのM1918である。  1937年にはバイポッドと跳ね上げ式のバットプレートを追加したM1918A1が。翌1938年には、レートリデューサーの追加を始め、さらなる改良が施されたM1918A2が開発され、アメリカ軍に制式採用された。初期に製造されたM1918も多くがA2仕様に改修され、第二次世界大戦や朝鮮戦争において、陸軍と海兵隊により使用された。
US M1918 “BAR” 【軽機関銃】 MEDIAGUN DATABASE 


画像

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動画

 Browning BAR M1918
  

 Browning BAR M1918
  

 M1918 Browning Automatic Rifle (BAR)
  


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