一〇〇式機関短銃


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一〇〇式機関短銃(ひゃくしききかんたんじゅう)は、第二次世界大戦に実戦投入された日本軍で唯一制式化された短機関銃である。資料等によっては「百式」、また制式名の「機関短銃」ではなく「短機関銃」と誤記されている場合もある。

第一次世界大戦後の大正9年(1920年)7月の陸軍技術本部兵器研究方針によって、自動小銃開発の予備研究として、自動短銃(当時の日本での短機関銃の呼び方)の研究にも着手するようになり、外国製短機関銃(アメリカ製トンプソン、ドイツ製MP18など)を輸入し、分解、研究を行った。

日本陸軍期待の一〇〇式機関短銃であったが、前線で使用されることは少なかった。原因として製作した本銃が前線に届かなかったこと(南方に輸送中、輸送船などが撃沈されるなど)、さらに資源の不足などが重なったためである。特に弾薬の生産には困難があり、小銃弾や機銃弾ですでに不足しているところに大量の拳銃弾の増産を行うことは不可能であった。そのため一部の砲兵・騎兵将校の自衛用火器、また挺身部隊用として使用されるにとどまった。
一〇〇式機関短銃 wikipedia 

目次
1.日本軍
2.特徴
3.画像
4.動画
5.関連



日本軍

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日本軍(にほんぐん、にっぽんぐん)は、広義には日本が有する軍隊のことであるが、狭義には第二次世界大戦以前の日本が保持していた軍隊(日本陸軍と日本海軍の両軍)を指す。陸軍および海軍は、第二次大戦の敗戦により解体されたため、戦後は旧日本軍などと略称する。また、戦前からの名称・呼称としては陸海軍、帝国陸海軍、国軍、皇軍(こうぐん、すめらみいくさ)、帝国軍、大日本軍、官軍などがある。
「自衛隊」については、日本国内では「日本軍」と称されることはほとんどない。日本語以外の言語地域では正式には「Self Defense Force」など「自衛隊」に相当する語で表現するが、「日本軍」に相当する語で表す場合もある。
日本軍 wikipedia 

特徴

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本銃にセレクターは無く、フルオート射撃のみであり、バースト射撃は指切りで行う。銃腔にはクロムメッキ加工が施されていた。弾倉は1銃につき8個を、4個入り弾倉帯2つで携帯する。その他の雑嚢も流用された。弾倉重量は空で240g、30発装填で540gである。

作動方式は、バッファーにコイルスプリングを採用し、オープンボルト、シンプルブローバック方式である。銃身や銃身被筒は固定式で動かない。

前期型の生産が中央工業でわずかに行われた他は、後期型の生産が名古屋造兵廠鳥居松製造所で昭和19年5月から毎月1,000挺のペースで行われた。総生産数は約10,000挺。その内のほとんどの約9,000挺を後期型が占める。
一〇〇式機関短銃 ピクシブ百科事典 

第一次世界大戦後、各国で短機関銃の開発が進められていた。日本もそのご他聞に漏れず、アメリカのトンプソンやドイツのベルグマンを参考に研究を進め、試作銃を完成させる。  すぐさま整備計画が立てられたが、満州事変が勃発したため短機関銃よりも拳銃の増産が急務になり、整備計画は見送られた。しかしその後も研究は進められ、1939年に一〇〇式機関短銃が完成した。  開発当初は毎分450発程度と遅い発射速度だったが、戦争後期になるにつれ700~800発に高速化している。これは簡略化のためレートリデューサーが省略されたためである。また、8mm南部の威力不足をカバーするためとも言われている。

 こうして完成した一〇〇式機関短銃だが、物資の欠乏により生産数が限られてしまったり、輸送船が撃沈されるなど、兵站が崩壊しかけていたことから前線に数が届かず、使われる事はほとんどなかった。しかし1945年5月、本銃を装備した義烈空挺隊(欧米で言うところの特殊空挺コマンド)が、沖縄の米軍占領下の飛行場に強行着陸して挺進攻撃をかけ(義号作戦)、航空機を破壊し備蓄燃料を炎上させる損害を与えている。
名古屋造兵廠 一〇〇式機関短銃 【短機関銃】 MEDIAGUN DATABASE 


画像

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動画

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