トンプソン・サブマシンガン


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トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)は、アメリカで開発された短機関銃。トムソン銃、シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項ではトミーガンに統一して表記する。
トミーガンは、禁酒法時代のアメリカ合衆国内において警察とギャングの双方に用いられたことで有名になった。1919年から累計170万挺以上が生産され、今日でも民生用モデルが製造が続けられている長命な製品である。頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。

1916年、アメリカのジョン・T・トンプソン元陸軍大佐(後に復帰し准将として再度退役する)が設立したオート・オードナンス社において、「塹壕箒」(trench broom)と仮称される自動式小火器の試作が開始された。
この自動式小火器は、塹壕戦で膠着状態となった第一次世界大戦の状況を見て、これを打開できる個人装備の需要予測に基づいて開始され、その動機は純粋に商業的なものだった。
当時の機関銃は大型かつ重量級の装備であり、軽機関銃といえども兵士が一人で操作できる存在ではなく、機械的な信頼性も低かった。そして機関銃は突撃する兵士に随伴して後方から援護射撃を加える事すら難しかった。しかし、塹壕戦の打開に必要とされていたのは、機関銃で強固に防衛された敵塹壕に対する肉薄および突破であり、これに用いる銃器には兵士が携帯できるサイズ・重量であることやフルオート射撃能力が求められた。
1917年に第一次大戦に参戦した米軍でも、塹壕の突破を目的として軍用ショットガンや秘密兵器であるピダーセン・デバイスを量産・装備していた。また、同時期の米国ではジョン・ブローニングによってブローニングM1918自動小銃(BAR)の開発が進められていたほか、同時期にはドイツ帝国でも塹壕陣地の突破を任務とする突撃歩兵のためにMP18なる小型機関銃の開発が進められていた。
塹壕戦用小型機関銃
トンプソン大佐が提唱した塹壕箒なる自動式小火器は、1918年に試作されたパースエーダー(Persuader, 「説得者」、「言うことを聞かせるもの」の意) によって初めて具体的な形となった。
パースエーダーはベルト給弾式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱いという欠点があった。そこで、これを箱型弾倉に改めたタイプが1919年に試作され、アナイアレーター(Annihilator, 「絶滅者」、「敵を打ち負かすもの」の意)と名付けられた。
両製品は、ともにブリッシュ・ロック方式と呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた。
トンプソン・サブマシンガン wikipedia 

目次
1.設計者
2.特徴
3.画像
4.動画



設計者

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ジョン・トリバー・トンプソン(John Taliaferro(発音はtolliver) Thompson, 1860年12月31日 - 1940年6月21日)は、アメリカ陸軍の軍人。トンプソン・サブマシンガンの開発者として知られる。最終階級は准将。

1940年6月21日、トンプソンは79才で死去し 、ニューヨーク州ウェストポイントの陸軍士官学校にて埋葬された。皮肉にも彼の死後まもなくして第二次世界大戦参戦の瀬戸際に立たされたアメリカでは、陸軍が大量のトンプソン・サブマシンガンを購入し、太平洋戦争が始まると海軍及び海兵隊もこれに続いた。やがてトンプソン・サブマシンガンはイギリスやソビエト連邦などにも輸出され、第二次世界大戦を通じてアメリカを代表する火器の一つとなり、戦後も長らく使用されてゆくこととなる。
ジョン・T・トンプソン wikipedia

特徴

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第一世代サブマシンガンらしく、レシーバーを鋼材ブロックから削り出して製作するなど、製造工程は手間がかかっている。とはいえ、生産性向上のための努力がなされていないわけではなく、フライス盤などのありふれた金属加工機械があれば簡単に造れたため、工業水準が低かった戦前の中国でも、ある程度信頼性の高いコピー品を製造することができた。
 また、フル/セミオートの切り替えを行うセレクター・レバーとセイフティ・レバーが別々に設けられている、フルオート火器にはふさわしくない曲銃床(反動が大きくなり、銃の制御が困難になる)を採用するなど、決して操作性に優れた銃ではなかった。ただし、同時期に開発されたサブマシンガンの大半が同じ欠点を抱えており、決してトンプソンSMGのみの問題ではない。

ブリッシュ・ロック方式(M1921〜M1928A1)

 ブリッシュ方式は初期のトンプソンSMGに見られる特徴的な閉鎖方式である。
 その理論的根拠になったのは、米海軍士官であったジョン・ブリッシュが確立した「ブリッシュ理論」である。戦艦の主砲などの大口径砲の発射プロセスにおいて、腔圧が高い強装弾を発射するときにはネジ式尾栓がゆるまないのに対し、腔圧の低い訓練用の弾を撃つと尾栓がゆるみ、兵員が負傷する事故が発生することに注目したブリッシュは、数学的解析を用いてその原因を追究し、組成の異なる金属の間では、一定の角度・圧力下において急激に摩擦係数が上昇するという、一種の粘着現象が発生するという独自の理論を提唱した。彼はこの理論が銃の閉鎖システムに利用できるのではないかと考え、海軍退役後にパテントを取得したのである。  このシステムの要になるのは、ボルトに組み込まれたブロンズ製の「ブリッシュ・ロック」である。これと「アクチュエーター」(実質的にはコッキングハンドル)とが相互に干渉するようにボルトに組み込まれている。
 ブリッシュ方式の作動シークエンスは以下の通りである。
 ①トリガーを引くと、ボルトは前進し、マガジン上端の実包を薬室に押し込みつつさらに前進する。
 ②ボルトが閉じ、ブリッシュ・ロックがレシーバーに刻まれた「リセス」という切り欠きに収まると、同時に実包が撃発する。
 ③発射ガスの圧力でボルトは後退しようとするが、ブリッシュ・ロックに設けられた「ラグ」という突起がリセスと干渉し、その動きを妨げる。ボルトが後退するには、ブリッシュ・ロックが斜め上6mmほどスライドし、ラグがリセスから外れる必要がある。
 ④この時、ボルトとブリッシュ・ロックとがガス圧によって密着し、一時的にボルトは完全に閉鎖される。十分にガス圧が下がれば密着状態は解除され、ブリッシュ・ロックは上方にスライドしてボルトは後退できるようになる。
 しかしながら、この閉鎖方式には当初から疑問の声が多く、後に生産性を高めるために改良されたM1/M1A1ではこの機構はオミットされ、オープンボルト式SMGの定番であるボルト質量によるシンプル・ブローバック方式に改められた。

  カッツ・コンペンセイター(M1921/M1927/M1928/M1928A1)

 カッツ・コンペンセイターはリチャード・カッツによって考案されたマズル・デバイスであり、余分な発射ガスを逃がすことでマズル・ジャンプと反動を低減するように設計されていた。カッツ・コンペンセイターは1926年からM1921にオプション装備されるようになり、その外見から高い人気を博した。後に開発されたM1927~M1928A1のモデルでは、これを装備していない製品を見つけるほうが難しい。

リア・サイト

 M1921〜M1928A1(途中まで)には、ライマン社製の精密なリア・サイトが装備された。これはウィンデージ(左右)調節機能と600ヤード(548m)までのエレベーション(上下)調節機能が盛り込まれたフル・アジャスタブル・サイトであり、単体での性能は優れたものだったが、精密射撃など望むべくもないオープンボルト式SMGのリア・サイトとしては不適格であった。また、このサイトは非常に高価でもあり、AOから生産委託を受けていたサベージ社で1941年に製造されたM1928では、リア・サイトのみで銃全体の製造コストの10分の1を占めていた。
 これが、生産性向上のために各部の簡略化が行われたM1928A1(後期生産分)/M1/M1A1となると、L字型に曲げられた鉄板を加工した簡素なものに変更され、M1A1からはこれを保護するために三角形のガードが設けられた。
 なお、余談ながら、最初期のプロトタイプである「パスウェイダー」には、恐ろしく小型のリア・サイトしか装備されておらず、また「アナイアレイター」の初期モデルにはリア・サイトが存在しないものもある。

マガジン

 M1921/M1928では、20連ボックスマガジンと「Lドラム」と呼ばれる50連ドラムマガジン、「Cドラム」と呼ばれる100連ドラムマガジンが製造・供給された。しかしながら、ドラムマガジンは圧倒的な装弾数を誇るものの、耐久性に乏しく、1941年12月にアメリカ軍事委員会による比較審査によってお役御免となった。このとき選定されたのが新規設計された30連ボックスマガジンであり、M1928A1/M1/M1A1で使用された。
 しかし、自前購入でドラムマガジンを調達し前線で使用していた者もいるらしく、太平洋戦線の記録写真ではドラムマガジン付きのトンプソンを持った兵士が写っていたりする。またボックスマガジンは20連のものより装弾数の多い30連のものが好んで使用されていた模様(一例として、戦争映画に出てくるトンプソンには30発マガジンが装着されていることが多い)。
トンプソン・サブマシンガン ピクシブ百科事典 

ジョン・タリアフェロー・トンプソン(John Taliaferro Thompson)の立ち上げた、オートオードナンス(Auto-Ordnance)社が開発した短機関銃。サブマシンガン(Submachine Gun)という呼称を定着させた銃であるとともに、この呼称を用いた初めての銃でもある。
最初に量産されたモデルは、1921年に開発されコルト社で委託生産されていたM1921である。軍用として売り出すも、非常に高価な上、射程の短さなど欠点ばかりが取り沙汰され、採用には至らなかった。かくして大量の在庫を抱えてしまったオートオードナンス社は、M1921をセミオート限定に改修し、「M1927」として民間向けに発売した。映画等でよく登場する50発入りのドラムマガジンを装備した銃はこれである。 
 フルオートへの改造が容易であることから当時シカゴマフィアの間で絶大な人気を誇り、地元警察やFBIにも採用され、独特の発射音から「シカゴタイプライター」「シカゴピアノ」とよばれた。しかし、M1927が非常に高価であることには変わりなく、望んで入手できるのは、当時莫大な富を築いていたマフィアや、警察などの公的機関くらいであった。悪名ばかりが高まって、販売数自体はふるわないのが実情であった。
オートオードナンス トンプソン / Auto-Ordnance Thompson 【短機関銃】 MEDIAGUN DATABASE 

今なお幾つもの紛争で流出または鹵獲品が扱われ現役で稼働し続けていたり、生産終了した現在の米国市場でも高い人気を誇る、息の長いモデルである。現在のFBIでも象徴的な意味合いで扱われ、見学者向けに射撃教官がトンプソンのフルオート射撃で自身の名前を刻むデモンストレーションを行っていることは有名である。

なお、正式名称は“トンプソン・サブマシンガン”だが、“トミーガン”、“シカゴタイプライター”など複数のあだ名を持つ事でも知られる(後述)。

ちなみに、トンプソン・センター社で生産される狩猟向け中折れ式単発拳銃のトンプソン・コンテンダーとは一切関係ないので注意。
トンプソン・サブマシンガン ニコニコ大百科 


画像

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動画

 Thompson Sub Machine Guns
  

 shooting a Rare 100 round Thompson Drum
  

 Thompson M1A1 Submachine Gun
  


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